Nov 20, 2009
初めてのクレジットカード
我が家では昔からのクレジットカードがないと父に言われました。お金がないのに買い物をするので金銭感覚が麻痺してしまうと考えているようです。しかし、私も結婚をし、クレジットカードが必要に開始しました。私はネットショッピングをよくするためにクレジットカードを作ってからお買い物が便利になりました。しかし、父が話し続けているように金銭感覚がおかしくなるのも事実でした。私の勤める会社は、地方公共団体の出資する、いわゆる第三セクターと呼ばれる団体です。地方公務員とほぼ同等の給与が保証されているだけでなく、官公庁などの建物に入っているので、その身分証明書のあるIDカードは同じものが支給されています。このIDカードは非常に優れている庁舎の生協売店や社員食堂などでもキャッシュレスで利用することができます。
福知山市川北、太光薬師堂内に、タコの絵が描かれた額が掛かっている。太光薬師は以前「蛸薬師」とされていたことから、参拝者たちが所願成就のため、タコの絵を奉納したという。
地元住民によると、太光薬師堂は150年ほど前に、今の場所から約500メートル下流域にあった東禅寺のお堂が移築されたといわれている。堂内には室町時代に作られた薬師如来坐像などが安置されている。
タコの絵は2枚。1枚は布に、足の吸盤や口などもきちんと描かれ、朱色に塗られている。奉納者は当時の福知山町在住の女性のようで、未年と入っている。もう1枚は木板に簡素に描かれており、1949年(昭和24年)に、辰年で36歳(当時)の男性が奉納している。
以前は堂内に多くのタコの絵が奉納されていたという。奉納者たちは、自分たちや家族が「多幸」であるよう願ったに違いない。
2月14日のバレンタインデーに先立ち、埼玉県警東入間署は10日、富士見市の東武東上線ふじみ野駅前で、看護師らがチョコレートを配布して交通事故防止を呼びかけるキャンペーンを行った。
日頃から交通事故の悲惨さに接している看護師に交通安全を呼びかけてもらおうと、このキャンペーンを企画。
参加した看護師は、「大切な人を守りたい シートベルトの全席着用を」と書かれたカードが添えられた手作りチョコ300個を通行人に配り、シートベルトの必要性を訴えていた。
【関連記事】
ロッテ・清田、誕生日にミス日本からチョコ
大政絢、バレンタインは「毎年手作り」
本命?義理チョコ?プランタン銀座で試食会
まもなくバレンタインデー 仙台放送・原英里奈アナ
五感で味わう最高峰のショコラ フレデリック・カッセル
県立・高知市民両図書館の合築(がっちく)案について、県民の意見を聞く「新図書館フォーラム」が12日、高知市内であった。11日の四万十市に続き2回目の開催で、約80人が集まった。県民からは「1カ所で最高のサービスが受けられる。まとめた方が便利でいい」と評価する半面、「いろんな施設を無理やり詰め込んだキチキチの状態。すべて絵に描いた餅だ」と反対する意見も出た。
点字図書館と科学館を含めた複合施設として、市立追手前小跡地に建築するとした中間報告書案をまとめた県市が、県民から意見を募ろうと3日間開催。この日は意見発表に26人が応募、15人がくじで選ばれた。1人5分間で意見を述べた。
高知市南久万、会社役員、千頭邦夫さん(62)は「県市の両図書館の業務内容はほとんど同じ。無駄を省く意味でも合築に賛成」と述べた上で、「もし二つの業務が異なるとしても、1カ所ですべて機能を満たすのが県民にとって最も便利な形」と主張した。
一方、同市介良乙、無職、益善一さん(60)は「建物はどうしても上に高くなる。高知城との景観を考慮すべきである」▽同市上町1、高校教員、吉岡太史さん(44)は「単独整備が望ましく、もっと障害者にきめ細かい施設にすべきだ」などと疑問を呈した。
また、意見発表後のフリートーキングの中で、約20年間、同市民図書館職員だった同市東石立町、西森鶴喜さん(78)が発言。「いろんなサービスが増えたように県市は訴えているが、業務内容はこれまでと大して変わらない。土地の維持管理費が少し安いだけの話。大きなメリットがない」と訴えた。
13日には安芸市総合社会福祉センターで、午後1時半〜4時半まで行われる。15人まで発表者を受け付ける。【黄在龍】
2月13日朝刊
【関連記事】
皇后さま:絵本展を鑑賞
雑誌スポンサー:購入費を企業負担…さいたまの中央図書館
県立図書館:手作り絵本と紙芝居116点 一般公募作、展示 /岩手
名張市:国の経済対策交付金、図書費や職員雇用に−−財政部方針 /三重
県立図書館:合築問題 「追手前小」懸念なお 敷地不足など指摘−−検討委 /高知
岡豊村(現・南国市)の自宅敷地内にあったお社から、祝詞を上げる声が聞こえます。「夢かしら」。母親が見に行くと、軍服姿の人がいます。「お父さんがいる!」。南方戦線から帰還した杉本泉さんでした。当時、10歳前後だった次女の上久保和子さん(76)=埼玉県狭山市=の目には、ちょっぴりりりしく映りました。1944(昭和19)年の暮れか、翌年初めのことと記憶しています。
●「病院船ブエノスアイレス丸遭難記」より
【43年11月27日午前9時】患者約1300人が乗った病院船(11000トン)は、南太平洋のニューブリテン島から帰国中に空爆され、沈没。杉本さんは海に飛び込みます。船は右舷に傾き、「天皇陛下萬歳の声と共に海中に没セリ 水面は油ニテ真黒くなる」。逆さになったボート2隻を起こして乗り込みます。「大きな穴が二ツあり 水は絶え間なく汲(く)み出さねばボートは沈む」
【同日夜】波は高く、サメの群れも見えます。昼間は日本の真夏より暑く、夜は初冬の寒さです。「抱合ひ睡も出来ず只震い明す」
【29日正午】敵機が現れ、無抵抗の赤十字ボートを銃撃します。「敵機来る毎に海中に飛び入り姿を消す」。船尾に命中しましたが、死傷者は出ず、隣のボートは4、5人が命を落としました。
【30日正午】敵機が再び攻撃。オールを帆柱に、病衣を3枚張り合わせて帆代わりにして漕ぎ進めます。目指すは南方のニューアイルランド島。高波で転覆するボートも1、2隻ありました。「我が勇士は尚も屈せない 七生報国の決意を誓い、島影見えない大海原を漕く」
【12月2日】低い黒雲を水平線に見れば島かと思い、ヤシの実が流れたり、千鳥が上空を飛んだりすれば、島が近いと励まし合いました。食料と水は尽き、ある兵士は「明日水を含まねば死ぬる」。
【3日朝】島影が見えました。漕ぎ進むと、幸い友軍の哨戒船と遭遇します。「一同涙を流して手旗信号を為す。遂に救助された」
× × ×
杉本さんは翌44年1月21日、大分・佐伯港へ帰国しました。高知市に住む長女の佐竹艶さん(79)は「物もかめないほど歯がボロボロでした。よくぞ助かって帰ってくださった」と振り返ります。
復員直後、島にずらっと打ち上げられた死体を思い出してか、夢にうなされていました。農地改革で多くの土地を失いました。「世捨て人」のようになり、タバコを吸い始め、三味線やバイオリン、尺八に興じました。建物の上棟式などで披露する木遣(きやり)の歌い手として引っ張りだこでしたが、上久保さんの目にはその背中が寂しく映りました。明治生まれの杉本泉さんは平成元年の89年12月29日、外出先で火災のため82年の生涯を閉じました。
厚生労働白書によると、杉本さんが出征した東部ニューギニアとビスマーク・ソロモン諸島の戦死者は24万6300人。戦争の犠牲者は戦死者だけではありません。半世紀以上の時を超えて人目に触れた遭難記が伝えています。【高知支局長・大澤重人】
2月13日朝刊
WriteBacks
writeback message: Ready to post a comment.